No.829
宮崎の熱血フルーツ伝道師
田中陽一です!
昨日は2年越しで
妹が結婚した旦那さんに
ようやく会えたお話をしましたが
今日もその大分での親族の
お話し。
私田中陽一の
母方の姓は
『栗山』です😊
母が若かりし頃には
クリスタルケイさんさながら
クリちゃんと
呼ばれていたそうです😁
そんな母の実家では
祖父が開拓してぶどう園を
開きました。
祖父の代から3代受け継がれて
今もぶどうを育てられています。
ちょうど今が旬なので
お邪魔してきました😁
田中も小学生の頃
夏休みには数日間お泊まりして
お邪魔していたぶどう園の直売所
猛烈に懐かしい😁
いろんな思い出が
フラッシュバックします😊
1990年代ですね〜
あの頃は巨峰やピオーネの
イメージが強かったのですが
たわわに実るぶどうたち
今はシャインマスカットが
とても人気みたいです😊
おいしそう❤️
じゃがりこ食ってる息子と
見学させてもらいました😊
まるでタイムスリップしてきた自分のようです。笑
従兄弟のお兄ちゃんが
今は切り盛りされていて
田中が小学生のとき
ちょうど今の田中くらいの
年齢でしたので
本当に可愛がってもらっていましたし
今こうして同じ年齢になってみると
色々と感慨深いものがあります。
尊敬する兄さんです。
30年の月日が経ち
今、田中青年が思うことは
『今の自分には加工の力がある❗️』
ということ😊
兄さんたちと話してると
房からはずれたり
色付きなどで加工用になるものがある
ということだった。
祖父から受け継がれている
ぶどうたち。
田中も今の自分に
出来ることで
チャレンジしたいと思ったんです😊
ゼリーなのか
ジュースなのか。
早速、加工にチャレンジしてみます😊
出来上がったら
祖父母の眠るお墓に
お供えに行こう😊
そして…
本当に久しぶりに
ぶどう園に行って思い出したのですが
小学生の時に
妹と二人で歩いて
ぶどう園に行った時
近くにある牧場の
敷地にある柵のヒモを握ったら
ビリビリという感覚と共に
体が硬直して動けなくなりました😅
電気が流れる柵を
触っていたのでした😅
そんな牧場の施設も立派になっていました。
30年という時は確実に
変化をもたらしていました。笑
それでは今日はここまで。
また明日お会いしましょう😊
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Profile
日本の農作物のものさしが 『規格』ではなく『個性』に変わり 自分に自信を持って生きる 最高に輝く生産者であふれる日本にする! まずは拠点の宮崎から!
宮崎の農産加工チャレンジャー田中陽一です!
借金8千万円でゼリー加工場を立ち上げるも大失敗!ゼロ、いや超マイナスから這い上がる中で得た加工品作りの秘訣。
小ロットだって大丈夫!農作物の有効活用、オリジナルの加工品作りの救世主‼︎